【図面を取り戻せ!~大規模修繕後の戦い】22.意趣返し

そして、大規模修繕関連の議事が終わり、僕を含め、理事会に出席した住民たちが退出しようとしていた時のことだ。
K山理事長がA美さんに声をかけた。
「ちょっと待っていただけますか。」

前期の監事だったA美さんは、この理事会で、前期の理事会の進め方について証言していた。タイルの追加工事を行うに当たって、彼女自身は住民への説明会を開くべきだと思っていたのに、前期理事長の反対で開けなかったという、例の話だ。

スマートフォンの画面を示して、K山理事長はA美さんに何か問いかけている。
A美さんは首を大きく振って否定する。
「なんのことかわかりません。」
K山理事長は声を高める。
「でも、私のところに届いたこのメールには、次のように、はっきりと書かれているんですよ。『A美さんが、(本心は隠して)K山理事長の説得に行ってくださったんですが、無駄だったそうです。A美さんも余計なことを。』って。これ、いったいどういう意味ですか?」
この話で、妻にはピンと来たようだ。

その晩。
例によってビールのグラスを傾けながら、妻はいきさつを説明してくれた。
「あれさ、年末年始にかけて、私たちが何度も集まって話し合いをしてた頃のこと。K山理事長にも声をかけてたけど、ぜんぜん来てくれはらへんかったやんか。」
そのことを、たまたま居合わせたA美さんに愚痴ったところ、A美さんは即座に、
「あたしが行ってみる。」
と、請け負ってくれたのだそうだ。
「去年の理事会での対立のことも謝って、なんとか説得してみるわ。そりゃもちろん、本心ではK山さんのことは、許してへんけどね…。」
前年の理事会で、追加工事への疑問を口にしていたのに、全く取り上げてもらえなかったことに関連して、A美さんも、K山理事長に良い感情は持っていない様子ではあったらしい。
結局、K山理事長はこの薄っぺらな説得工作には応じず、かえって反感を募らせた様子。A美さんの骨折りは「余計な事」になってしまった訳で、妻はその顛末をI子さんにメールで知らせていたのだという。
「それをK山さんにも誤送信してしまってたみたい。」
しかもご丁寧に、I子さんからの「ここまで拗ねられると、人間性を疑ってしまいます。」との返信も付け足した状態で。

理事会でのやりとりに戻ろう。
メールの内容について、A美さんにしらを切られたK山理事長は、今度はI子さんに矛先を向ける。
「K村さんからのメールについてもうかがいたいんですけど。私のことを『人間性を疑う』って書かれているのは、どういうことなんでしょうか。」

一瞬の気まずい沈黙の後、K村さんことI子さんは静かに答えた。
「K山理事長、それって個人的な話ですよね。お集まりくださった皆さんの時間を取るのでなく、後でお話しませんか。」
I子さんの冷静な声で平静を取り戻した妻も、次のように続けた。

「理事長、私が誤送信したメールのことを問題にされているようですが、それについては、後ほどご説明させていただきます。」

この二人の発言に、K山理事長は引き下がらざるを得なかった。足を止めて成り行きを見守っていた住民たちも退出し、その後の議事が続けられた…僕がその場にいたのはここまでだ。

理事会終了後、妻たちはK山理事長に、次のように申し渡したらしい。
「メールを誤送信したことは申し訳ありませんが、あれはあくまで女性同士の内輪の話。私たちがK山さんのいてはらへんところでどんな悪口を言ってたかて、別に咎められる事ではありませんよね。ほんまのとこ、あんなもんやない、もっとひどいことも言ってますけど、それかて、K山さんに文句をつけられる筋合いはありません。」
内輪のやりとりに皆を巻き込もうとしたK山理事長のやり口に腹を立て、ヤツらは、日頃のうっぷんも含めてぶちまけたのだそうだ。
「個人的な感情を理事会やマンションの問題に持ち込むつもりはありませんので、それはご理解ください。この問題について、K山さんが私たちとは違うお考えでいてはるなら、それはそれで構いません。せやけど、議事の妨害になるようなことや、住民の皆さんまで巻き込むことは、控えていただけますか?」
「誤配信メールにわざわざ目を通して、大勢の住民の前で『自分は悪口を言われている』って公表しはるなんて、それこそ人間性を疑っちゃいます!」

結局この件は、K山理事長が、ヤツらの剣幕にやり込められる形で決着した訳だが、妻とすればそれよりも、A美さんのご機嫌が心配だったらしい。
「せやかて、せっかく説得に行ってくれはったのに、I子さんへのメールに『余計なこと』とか書いてしもててんから…。」

案の定、A美さんの住戸を訪ねてみたところ、最初は扉も開けてもらえなかったらしい。
「今度のことで仲良くなれてうれしいなって思ってたけど、あたしの思い違いやったみたい。『余計なこと』をしてごめんなさいね。」
「それについては、ほんとうにごめんなさいっ!」

インターホン越しに何度か謝罪を繰り返したのち、やっと室内に招き入れられた妻は、例のフレーズとメールの誤送信について、とにかくA美さんに頭を下げたそうだ。
「K川理事長に断られたことで、イラっとして書いちゃったんやけど、A美さんにケチつけることやありませんでした。ごめんなさい。」

なんだかんだいって、A美さんは情にはもろいタイプの人間だ。理事会終了後、間髪入れずに謝罪に訪れた妻に対して、いつまでも怒りを継続させることはできなかったのだろう。
「あたしが謝りに行ったことがK山理事長をかえって怒らせたのは事実やし、『余計なことしてしもた』って言ったのもあたしやし。」
しかし妻としては、誤送信のぽかミスを犯してしまっていたショックから、なかなか立ち直れていなかったらしい。
「せやけど、I子さんへのメールに、あんなことを書くべきやなかった。ほんとにごめんなさい。K山理事長に誤送信しちゃったことも。」

対してA美さんは、腹の中では妻のことはとっくに許していた…というよりも、実は話を次に進めたくて、うずうずしていたのかもしれない。
「あのメールやけどさ、K山理事長、あれ見せたら、あたしらが仲間割れするやろうってもくろんでたん違うかと思うんやけど。」
「どういうこと?」
「ほかの人たちもいる前で、あたしたちが喧嘩することを期待してたんやと思う。それが読めたから、あたし、あの場ではしらを切ったんやけどね。」
「そこまでいやらしい人やろか?」
「絶対そうに決まってる!それにさ、だいたいにして、『○○さんが、僕の悪口を言いました!』ってみんなの前で公表するなんて、学級会の子供か!」
「それはそうやね。」

結局はこの話も、K山理事長への反感ということで、逆に女たちの結束を固めることに落ち着いた様子だった。

(photo by photoAC)

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