さて、憎らしいほどに付け入る隙を見せなかった以前の理事会の際とは打って変わって、B建築設計のM本氏は、打ちひしがれたような様子で現れたらしい。
僕はというと、転勤前の仕事の引き継ぎに忙殺され、この会合は欠席。以下は妻からの伝聞による。
「型の崩れたようなスーツで、ネクタイの端も擦り切れててさ。なんだか気の毒に思ってしまうような様子やった。」
もしも意図的にそのような雰囲気を作り出していたのだとしたら、M本氏はなかなかの策士であると思われるのだが…。
「う~ん、そんなことはないと思う。そもそもM本さんは、書類の確認やと思い込んで来はったんやし。」
それでも、M本さんは、まずは大規模修繕時の仕事について詫び、続いて「下地の図面」についても、
「S社を訪れて確認して参りましたが、これもいい加減なものでした。私どもの監理が行き届いていなかった事、申し訳ありません。」
と、不備を認めたそうだ。
「すべて、当時の担当のY口の責任です。」
この会合については、マンションの住民にも知らされてはいたものの、開始の時間が早めだったせいか、図面の確認のためにお願いした建築士のN川氏と理事たちの他には、当初は2~3人参の加しかなかったらしい。しかし帰宅する住民が次々と足を留め、すぐに二重三重の人垣ができてゆく。
「Y口さんは、なぜいらっしゃらないんですか?」
「申し訳ありません、Y口は体調を崩し、入院しております。」
M本氏の回答に、即座に疑問の声があがる。
「それって、よくある疑惑隠しの手法みたいですけど、どうなんですか!」
「そんなことはありません。聴き取りはできる状態です…。」
これを皮切りに、質問が続く。
「タイルの図面が欠けているだけでなく、下地の補修図面にも不備があることがわかりました。これでは他の提出書類についても疑問を持たざるを得なくなりますが、Y口さんは本当に図面確認の仕事をしていたんでしょうか?」
「Y口がおりませんので…。」
「M本さんには、何も報告はなかったんですか?」
「ありません…。」
「では、確認していたとは言えないわけですね。」
「…Y口に確かめられない以上、断言できないと申さざるを得ません。」
「では、工事代金はどうやって算出したんですか?下地の補修については図面と明細表が提出されていますが、どれだけ信用がおけるものかは不明。タイルに至ってはどちらも提出されていません。」
「…仕事の内容から算出したのだと思いますが、この状態では、金額が確かなものと言い切ることはできません。」
「工事についてはどうですか?きちんとなされていたと言えるんですか?」
「現場での監理は行っていたと思います。ただ、その証明はできない…。」
畳み掛けられるように続く質問に、M本氏は監理の不備を認めざるを得ない。
「仕様書によると、『補修すべき部分』を確認した時点で修繕の計画書を作成することになっていたようですね。それに目を通して指示を出すのがB建築設計のお仕事だったはず。そういった書類が残っているなら、図面の復元は可能だと思うのですが。」
「そういった書類も全く残っておりません。」
「書類の確認はしていたんでしょうか?」
「…わかりません。」
「仕事をしていなかったということですか?」
「記録がない以上、していないと言わざるを得ません…。」
設計士のN川さんも口を開く。
「どうやら、B建築設計は、まともな指示書を作っていなかったようですね。これは、図面のチェック以前の話です。B建築設計は、もともと設計・監理の仕事を、きちんとしていなかったのではないですか?」
「現場で、手描きのものを確認して、口頭では指示をしていたはずですが…、そういうことになりますかね。」
力なく、M本氏は答える。
「この場で答えられないということは、そう認めたと考えていただいても構いません。」
仕様書には「足場架設後に確認調査を行い、施工図に明記・保存…施工前と完了後を監督員に提出の上、確認を受ける」と記されているが、M本氏のこの発言は、つまり、「以上の仕事はしていませんでした」との証言と受け取られる。
「図面を作っていないなんてありえないと思っていましたが、予想以上に、いいかげんなことをしていたようですね。」
N川さんは、B建築設計の仕事ぶりを、ひとまずはそのように総括したそうだ。
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