9月に図面の未提出が明らかになった席で、妻はC技研のH林氏から名刺を渡されていたという。まずは、副理事長の肩書をもつ妻が、そこに記された番号に連絡することになったらしい。
「はいっ、H林ですっ」と、まずはなかなかさわやかな声での応答だったそうだが、
「SマンションのY原です。」と、妻が名乗った瞬間、受話器の向こうから、息をのむ気配が伝わってきたらしい。
「大規模修繕後に必要な図面が提出されていないタイルの図面ですが、現在どうなっているのか教えてもらえますか?」
「えっと、それについては、現在復元の途中でして…」
「提出されていないとわかったのが去年の9月でした。もう1月末になりますが、未だ復元の作業を続けているということですか?」
「はい…復元中です。」
「ということは、いずれ提出していただけると考えてよろしいのでしょうか?」
「復元は…」
H林氏は絞り出すように答えたそうだ。
「無理そうです」
つまり、復元はムリで、作業は中断されていたのに、H林さんは、とっさに「復元中」と言い繕ったということか。
「では、図面の提出については、どうなさるのでしょうか?」
「えっと…それにつきましては、営業のWの担当になります。私からは何も申せませんので、Wから連絡させていただきます。」
「途中の段階の図面や写真についてはどうなっているのでしょうか?」
「写真については、工程の資料的なものしか撮っていませんし、それについては、竣工図書につけて提出済みです。その他の資料については残っていません…。」
その晩のこと。
「H林さんが言うにはさあ、『補修すべきタイル』については、検査して、チョークで壁面に印をつけておいて、それから順番に作業にかからはってんて。」
報告する妻の口調は、すこぶる不機嫌そうだった。
「せやから、手描きのメモ以外の記録は、取ってへんかったって言わはるねん。N川さんの話とはだいぶ違う。」
仕様書にかかれていた手順はすっとばした、ずいぶん乱暴な進め方だった様子だ。
「その手描きのメモのこと、『野帳』って言うらしいねんけど、その野帳を、図面描き起こし専門の下請け会社に送って、そこでデーターごと行方不明になってるって話やねん。」
図面の復元作業についてはとっさに話を取り繕ったH林氏だが、予告せずの電話だったため、データについては、さすがに話を作っている様子はなかったらしい。
「仕様書通りの仕事はしてへんかった、手抜きやったって、それは認めさせた訳やねんけど。」
その手抜き作業のせいで、データーは完全に紛失してしまっているかもしれないってことだ。
妻によると、H林氏からは最後に、
「データーの復元については、改めてWより連絡させますので。」
と、固い声で告げられたらしい。
「次回理事会で、この件についての聴き取りを行いたいので、出向いていただきたいのですが。」との要請に対しては、
「それも、日時を確認して、Wより連絡させていただきます。」
今日のH林氏とのコンタクトは、そこまでだったとか。
「せやからさぁ、今日はそれからずっと、Wさんからの電話を待っててんけどさぁ。」
結局この日は、W氏からの電話はなかったそうなのだ。その日の妻の不機嫌は、これも原因だったようだ。
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