「絶望は幸せへの伏線である」
___とある、著書にあった言葉です。
鎖骨を折ったという話を、前回のブログでも書きました。
旅行の予定つぶれる、人混み怖い、サーフィンできない、横に寝れない、風呂たいへん、とにかく痛い…。
全くをもって、なにひとつ、いい要素がありません。
しかしこのままでは、不幸な経験だけで終わってしまう。
あのときのことをいくら悔やんでも厳しい現実は変わらない。
だったら、こんなときだからこそ味わえる「幸せ」はないのかと考えに考え、ひとつの答えに行き着きしました。
「夜飯をメザシの干物(税別198円)だけにして、痩せたろ」
あの地獄に比べたら、メザシに置き換えることなぞ屁でもない。
病院に向かう2時間半の悪路。ガタッ、とくる度に脳天を貫く電流。「切ってください」と医者に言えなかった、パタゴニアのトレーナー(税別8000円、3割引で購入)。
あの骨の真っ二つの、固定すらしていない状況でトレーナーを脱ぐ恐怖、苦痛。
あの地獄に比べたら、1食の我慢など、ぬる湯のごとし。
今までできなかったことが、このタイミングならできるかもしれない、いや、できる!
__少し、体重が落ちました。
(筋肉も落ちました)
「絶望は幸せへの伏線である」
誰しも訪れるピンチ。
長い人生において多かれ少なかれ、それは必ず訪れる。
しかしながら、思考を変えるだけで、絶望は絶望のままでなくなります。
重要なことは、起きてしまったことをいつまでも悔やむのではなく、逆にチャンスかもしれないと無理矢理にでも切り換えること。幸せな人生をおくるためには、とてつもなく前向きな思考を、常に選び続けることがポイントです。
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お陰さまで、固定具もボチボチ外れそうでして、リハビリも間近。ここまで1ヶ月かかりましたが、とても嬉しいです。ゴールデンウィークには海に入れるでしょう。
ところが、つい先日__。
ふと鏡に映る自分の姿をみて、教え子にパワハラで訴えられたような、とてつもない衝撃を受けました。
ふと鏡に映る自分の姿をみて、教え子にパワハラで訴えられたような、とてつもない衝撃を受けました。
まさか、と思いました。
そんな馬鹿な、と目を疑いました。
嘘だろおい、と声に出しました。
ガクガク、と足が震えました。
気持ち、失禁しました。
骨を再生させるための固定具が、私の、私の身体をこのような辱しめに…
この姿で、私は、薄っぺらいワイシャツ1枚で会社を闊歩していたのか…
この姿で、私は、薄っぺらいワイシャツ1枚で会社を闊歩していたのか…
この姿で、私は、大食堂の一番前でB定食を食べていたのか…
…なぜ、誰も教えてくれなかったのか…
家族も…会社の同僚も……なぜ……なぜ……
____その姿、後ろから見ると
ブラ装着