今後図面が提出される見通しがない中、「落としどころ」をどこと目指せばいいのか…。
もういっそ、K山理事長が持ち帰った「図面の提出はムリ、総タイルの保証で」との話に乗ってしまうか、いやいやそれではあんまり、もう少し色を付けてもらえないのでは悔しすぎる…と、方針の定まらなかったI子さんと妻に対し、Y子さんは静かに、しかしきっぱりと言い渡したらしい。
「図面はもう提出されへんとの前提で話を進めるのはイヤなんです!」
曰く、
「図面って、今回の大規模修繕でどこを修理したのかを示す、大事なものですよね。それがないんやったら、今後、困ったことにならへんか、心配です。」
B建築設計への腹立ちやらK山理事長とのトラブルやらで、いつの間にか両者とのパワーゲームに陥っていた感がある妻たちにとって、それは目から鱗を落とさせるような発言だったらしい。
「私は、何よりも、図面を取り戻すことを優先させたいと思うんです。」
もっともな話である。
しかし、「図面はもう出てこない」と言われているのだ。今後の交渉を、どのように進めればいいのか。
話し合った結果、とりあえず、次の方針が決められたらしい。
「まずは専門家に相談してみる。で、交渉の余地がありそうなら進む。無理そうならあきらめる。」
T村さんとK山さんの前・今期理事長コンビは「仕方なかったですね」と補償案を呑み、大規模修繕問題を終了させたいと思っているに違いない。管理会社のS社やB建築設計も、当然それを望んでいる。しかしY子さん、I子さん、妻の女性陣は、「とにかくなんとかやってみるしかない…」と、意見を一致させた。しかも「無理そうならいつでも撤退可」との条件を付けた上で…。
言い換えれば、「いやになったらいつでもやめていい」とのゆるい縛りで進めようとの話なのだが、しかしこれは、もしかしたら、男にはなかなかできない考え方かもしれない。途中の撤退を考えるくらいなら、僕ならおそらく、そもそも手を付けることさえせず、初めからB建築設計の補償話にのっていた(その意味で、僕にはK山理事長を責めることはできない)。
だが結局は、それが妥当なおさめ方ではなかろうか。
だいたいにして、「謝罪に赴いてきた」時点で、相手は「落としどころ」を提示しているのも同然。つまり、会社の意向として、それ以上の話にはのれないということだ。それを拒絶したところで、出向いた担当たちが社内で責められるだけ。互いの顔を立てあって、丸く収めるのが大人…との認識が、少なくとも僕にはある。
しかもなんといっても、相手は海千山千の建築業者たちだ。素人の女三人がいくらがんばったところで、「謝罪」くらいは引き出せるかもしれないが、
これ以上の金銭的な交渉や、ましてや「図面を取り戻す」なんて、絶対無理に決まっている…これがこの時の僕の、正直な感想だった。
それにこの頃、僕たちにとっては重大な案件が、もうひとつ持ち上がってきていた。僕の春からの転勤の話が決まりそうなのだ。おそらくは九州。単身赴任で週末ごとに帰宅するには少々遠すぎることから、家族での転居となるだろう。時期的にそろそろ…と覚悟はしていたが、妻がそのことを告げたところ、I子さんとY子さんは、あからさまに困惑の表情を示したそうだ。
「どうしよう、春までになんとかできるかなぁ。」
もうすぐ年末…時間はわずかしか残されていない。
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